2007年3月12日月曜日

専門性について

他に進む道があったのに,研究職を選んだ,ということを意識しない日は少ない.会社に入っていたら今頃どうなっていたか,公務員だったらどうか.そして,同級生の活躍を見ると,10年近く,法律の一分野の研究しかしてこなかった自分自身が,頼りなく思えることが少なくない.情けないことに,法律の中の租税法,さらにその中でも知っていること,自信を持って人に話せることは,驚くほど少ない.研究を進める際には,できるだけ幅を広げなくてはと思い,できるだけ租税法以外の法律も,また法学以外も勉強するように努めてきた.しかし,何でも知ろうとするのは,何でもできるようになろうとするのは,そもそも無理な相談かもしれない.このことを考えると,何とも,不安にならざるを得ない.

以上のようなことが頭の中にある私にとって,以下に引用するフルート奏者,斎藤和志さんのブログの文章は何とも力づけられるものである.斎藤さんは,一方では,コンクールしか頭になくて,音楽自体を理解したり楽しんだりする余裕がなくなっている音大生の現状(それは彼が通ってきた道でもある)を批判しつつ,返す刀で,かといって技術を軽視するべきではないとも言う.さらに,次のように続ける.

「たとえ、技術も、さらに伝えたい音楽もある人であっても、人生のすべてを音楽に投入して無我夢中、ある意味で視野がグーンと狭くなった時期のない人の音楽ってのは、どこかしら軽いと感じることも多いのです。苦労してない人の音楽は軽いといいますかなんと言うか。
プロは舞台裏での苦労など微塵も見せずに華麗な演奏を繰り広げるもの、という考えもありますが、そういうことに関しては、人間というのは敏感ですね。
そう考えると、ひたすら偏執狂的に楽器の練習にだけ打ち込み、ひたすらに耐え抜くという時期も、次へのステップとして重要な時期なのかも知れませんね。」(音大で勉強している人達3,2007年1月22日)

昨年,数回にわたって,斎藤さんの演奏をライヴで耳にする機会があったが,フルートという楽器の美しさが深く心に沁みた.そんな彼の語る芸術論には説得力を感じざるを得ない.そして,芸術におけるこのような人間性の表出と同じことが,研究においても,とりわけ法学の研究においても言えるかどうかはわからないものの,私は斎藤さんの書かれていることが法学の研究についても言えると信じたい.というわけで,目の前にある課題にとりあえず全力投球することにしよう.