2011年11月21日月曜日

教員紹介(法学部2010-11)

学習院大学法学部のパンフレットがもうすぐ改訂されるので、アーカイブとして、2010-11年版に載せておいた教員紹介を転載しておきます。

 今から見るとずいぶん豪華な出演者がそろっていた2005年のTBSのドラマ「ドラゴン桜」の最終回の再放送を見て、驚いた。主人公の一人が、東大に合格したにもかかわらず、独学で司法試験の勉強を始めるべく、大学進学を断念したのだ。私が驚いたのは、東大に進学しなかったことでも、司法試験の勉強を独学で始めたことでもない。驚いたのは、司法試験の勉強を始めるにあたって、山下智久が分厚い六法全書を前から読み、覚え始めたことである。
 もしかすると、高校生の皆さんは、なぜ私が驚いたのか、分からないかもしれない。ここではっきりと皆さんに申し上げたいのは、法学部は法律を覚えるところではないということだ。法学部に入ったら、皆さんは法律のことを勉強するけれども、法律の勉強をするとは、法律を覚えることではない。六法全書を覚えるところではない。繰り返し言おう。法学部は法律を覚えるところではない。
 これは、学習院大学法学部に限ったことではない。東大でも京大でも、法学部では法律を覚えるための教育は行っていない。では、法学部で何が学べるのか。とりわけ、学習院大学法学部で何が学べるのか。これが、この文章の主題である。ついでに、少しばかり私の自己紹介も行う。

 法学部、とりわけ法学科で勉強できるのは、法あるいは法律という切り口から、社会についてより良く理解することである。高校生の皆さんは、おそらく、世の中について分からないことがたくさんあると思う。私自身もそうだったが、例えば、日本経済新聞を手にして前から読んでいっても、意味の分からない概念、読み方すら分からない言葉が少なからずあるのではないだろうか。大学に進むと、世の中を見るためのものの見方が身につくようになる。これは法学部に限らない。理科系に進めば、自然科学の知識を使って、世の中のことがより良く分かるようになる。文学部で歴史学を学べば、これまで当たり前と思っていたことが、時代や国によっては当たり前でなかったということが分かる。経済学部で経済学を学べば、合理的な個人という仮定の下で、社会の様々な仕組みが説明できることが分かる。法学部法学科でも、世の中を見るためのものの見方を学ぶことができる。
 ただし、法学部法学科で学べるのは、法あるいは法律という切り口から社会を見ることである。法律は世の中のいろいろなことを定めているし、実は、紙に書かれていないような法もある。法は、どこにでもある、とは言わないまでも、社会の中で非常に重要な存在である。逆に、法あるいは法律を通して社会を理解すると言っても、何か特定の方法があるわけではないかもしれない。歴史学の方法から法を見てもよいし、経済学の方法から法を見てもよい。社会学や社会心理学、政治学や統計学から、法を見ることも可能だし、実際にそうしたことが行われている。結局、法学部法学科では、法あるいは法律を学ぶけれども、そこではいろいろなものの見方が使われている。
 このように、法学部は、六法全書を前から読んで覚えていくような退屈な場所では、断じてない。法学(法律学)を通じて、現在存在している法律の背後にあるいろいろなものの考え方を、貪欲に学んでいく、そしてできれば皆さん自身もそこに何か付け加えていく、そんな場所が法学部である。要するに、法学部は「なんでもあり」の知的な空間である。高校までに勉強してきたこと、知識として蓄えてきたことを、整理して、さらに自分なりの社会に対するイメージを持ちたい、そんなことを考えている人に学習院大学法学部法学科はお薦めである。

 とはいえ、何でもそろっているデパートメント・ストアで何も買わずに出てきてしまうことがあるように、なんでもありの法学部には、何となく4年間を過ごしてたいしたものをえずに卒業してしまう危険がある。もともと法学部は「つぶしがきく」とか「就職に有利だ」とか言われて、特にやりたいこともないのに、勉強が比較的得意であるとか成績が良いというだけの理由で入学してくる人が非常に多いところである。勉強ができる人がやってきて、知的な面であまり面白みのない人として卒業していってしまう、そんな可能性がある。言うなれば、法学部は秀才の墓場になりかねない、危ない場所である。
 それではこのような秀才の墓場に埋没してしまわないためにはどうすれば良いのか。私がお薦めする方法は、毎年何らかのテーマを持って、学生生活に臨むことである。ある難しめの本をしっかり理解するでもよいし、気に入った一つの授業を徹底的に予習復習するでも良い。もちろん、部活やサークル活動、アルバイト等でテーマを設定しても良いが、せっかく大学生なのだから、勉強面でも最低一つはテーマを持とう。設定したテーマを軸に生活を組み立て、逆に力を抜くところは抜く。恐らく、法学部ですべての科目に全力を尽くしたら、寝る時間がなくなるだろうから。これまで教えた学生の中には、公務員試験とか司法試験(法科大学院受験)などの資格試験を目標に設定している人も少なくなかったが、これらの試験以外にも、法学部出身者が活躍できるような面白い仕事は世の中にたくさんある。最終的に資格試験にチャレンジするのは構わないが、大学に入ったらまずは法学部で勉強できる広大な知的フィールドに目を向けてほしい。

 私が研究し授業を担当している租税法は、法学部法学科の科目の中では、かなり専門的・応用的な部類に属する。憲法や民法といった基本的な科目をある程度理解したことを踏まえて、租税に関する法的問題について学ぶのが租税法である。社会人として世の中に出る前に勉強しておくべき、重要かつ役に立つ科目である。と言っても、決して簡単な内容ではない。不動産取引にも租税は関係するし、金融取引にも租税は関係する。国家の基本的な部分を支えるために租税が存在する。これらのことを理解していくためには、民法や商法で学習する不動産取引や金融取引についての知識が必要だし、国家の仕組みに関する憲法の知識も不可欠である。いわば、憲法や民法を神社の本殿に例えるならば、租税法は本殿の裏の奥の院に位置する。奥の院には、このほかに、倒産法や知的財産法、経済法といった難しそうな、しかし魅力的なラインアップが控えている。
 しかし、逆にいえば、憲法や民法の知識がややあやふやであっても、租税法を通して、もう一度憲法や民法を学び直すことができるという面がある。奥の院まで足を踏み入れてから、本殿や前庭に戻って修行をし直すこともできる。租税法を履修することができるのは3年生と4年生であるが、それまでこの奥の院の存在を忘れずにいて、一歩でも足を踏み入れてくれることを強く期待している。

2011年11月13日日曜日

書評掲載

国家学会雑誌にベーシック・インカムに関する本の書評(紹介というべきかもしれませんが)を掲載しました。

「Bruce Ackerman, Anne Alstott, and Philippe Van Parijs, Redesigning Distribution」(学界展望・財政法)国家学会雑誌124巻9・10号844-846頁(2011年10月)